blog 吾輩は馬である

アクセスカウンタ

zoom RSS 角倉 了以 とは

<<   作成日時 : 2011/09/09 15:51   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像



京都漱石の會第8回定例会の講演テーマのひとつ「角倉 了以(すみのくら りょうい) 」について調査した。


一族に「塵劫記」を著した算学者吉田光由がいる。



角倉了以@Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%80%89%E4%BA%86%E4%BB%A5

角倉 了以(すみのくら りょうい、天文23年(1554年) - 慶長19年7月12日(1614年8月17日))は、戦国期の京都の豪商。

朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を行い、山城(京都)の大堰川、高瀬川を私財を投じて開削した。また幕命により富士川、天竜川等の開削を行った。地元京都では商人と言うより琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名である。

長男に角倉素庵、弟に吉田宗恂。吉田光由は一族にあたる。墓所は京都市嵯峨野の二尊院。

家系

角倉家の本姓は「吉田氏」。佐々木氏の分家であるという。もともとは近江国犬上郡吉田村出身とされ、室町時代中期に上洛し室町幕府お抱えの医者としてつとめた。その後、医業で得た財を元に土倉を営むようになる。了以の祖父・吉田宗忠は土倉業は長男に継がせ、次男に医者を継がせた。この次男・吉田宗桂が了以の実父である。

角倉家は茶屋四郎次郎の「茶屋家」、後藤庄三郎の「後藤家」とともに「京の三長者」といわれる権勢を誇っていたが、他の2家が徳川家康に接近することで急成長したのに対し、角倉家はその以前より成功していた商人であったところが異なる。

「角倉」は運営していた土倉の名前の一つから取られた物である。

外部リンク
高瀬川物語 - 角倉了以




関連

角倉了以
http://inoues.net/club/suminokura_ryoui.html

高瀬川物語
http://inoues.net/club/takasegawa_jyobu.html

高瀬川散策
http://inoues.net/club/takase7jyo.html

角倉伝承会
http://suminokura56.blog111.fc2.com/

角倉了以と京都の水運
http://www.joho-kyoto.or.jp/~retail/akinai/senjin/suminokura-1.html


Copyright(C) まさじ MASAJI 2006-2016

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
角倉 了以 とは blog 吾輩は馬である/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる