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zoom RSS 夏目漱石と正岡子規の出会い

<<   作成日時 : 2016/01/30 08:42   >>

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夏目漱石と正岡子規は、明治22年(1889)1月頃初めて出会い親しく交流するようになった。第一高等中学校在籍中のことである。


写真は「漱石・子規 鋸山探勝碑」 photo by Tsukumo Matsuo



漱石 今日の言葉

■1月30日

 忘れてゐたが彼と僕と交際し始めたも一つの原因は二人で寄席の話をした時先生も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知つてゐたので話すに足るとでも思つたのであらう。其から大に近よつてきた。
 彼は僕には大抵な事は話したやうだ。(其一二例省く。)兎に角正岡は僕と同じ歳なんだが僕は正岡ほど熟さなかつた。或部分は万事が弟扱ひだつた。従つて僕の相手し得ない人の悪い事を平気で遣つてゐた。すれつからしであつた。(悪い意味でいふのでは無い。)

(夏目漱石「正岡子規」)

(『漱石全集』 25巻)

 余知吾兄久矣而与吾兄交者則始于今年一月也余初来東都求友数年未得一人及知吾兄乃窃有所期而其至辱知已而憶前日其所得于吾兄甚過前所期矣於是乎余始得一益友其喜可知也
(余、吾が兄を知ること久し。しこうして吾が兄と交わるは、すなわち今年一月に始まるなり。余の初め東都に来るや、友を求むること数年、いまだ一人をも得ず。吾が兄を知るに及んで、すなわちひそかに期するところあり。しこうしてその知を辱〔かたじけな〕くするに至り、すでに前日を憶えば、その吾が兄に得るところは、はなはだ前〔さき〕に期するところに過ぎたり。ここにおいてか、余は始めて一益友を得たり。その喜び、知るべきなり。)

(正岡子規 「『木屑録』評」)

(『子規選集第9巻 子規と漱石』)

※漱石と子規は、明治22年(1889)1月頃から親しく交流するようになった。第一高等中学校在籍中のことである。

東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ




正岡子規との出会い

1889年(明治22年)、同窓生として漱石に多大な文学的・人間的影響を与えることになる俳人・正岡子規と初めて出会う。子規が手がけた漢詩や俳句などの文集『七草集』が学友らの間で回覧されたとき、漱石がその批評を巻末に漢文で書いたことから、本格的な友情が始まる。このときに初めて漱石という号を使う。漱石の名は、唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えである。「漱石」は子規の数多いペンネームのうちの一つであったが、のちに漱石は子規からこれを譲り受けている。

同年9月、房州(房総半島)を旅したときの模様を漢文でしたためた紀行『木屑録』(ぼくせつろく)の批評を子規に求めるなど、徐々に交流が深まっていく。漱石の優れた漢文、漢詩を見て子規は驚いたという。以後、子規との交流は、漱石がイギリス留学中の1902年(明治35年)に子規が没するまで続く。

夏目漱石@Wikipedia





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