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zoom RSS 10th anniversary 京都漱石の會創立十周年

<<   作成日時 : 2017/11/09 01:45   >>

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京都漱石の會第20回定例会は創立十周年記念特別企画で、夏目房之介氏講演「漱石の孫」

会場は、『虞美人草』の冒頭の地、比叡山京都側登山口のエクシブ京都八瀬離宮


2017年11月5日
京都市左京区



虞美人草

夏目漱石

        一

「随分遠いね。元来がんらいどこから登るのだ」
と一人ひとりが手巾ハンケチで額ひたいを拭きながら立ち留どまった。
「どこか己おれにも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も体躯からだも四角に出来上った男が無雑作むぞうさに答えた。
 反そりを打った中折れの茶の廂ひさしの下から、深き眉まゆを動かしながら、見上げる頭の上には、微茫かすかなる春の空の、底までも藍あいを漂わして、吹けば揺うごくかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然きつぜんとして、どうする気かと云いわぬばかりに叡山えいざんが聳そびえている。
「恐ろしい頑固がんこな山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖つえに身を倚もたせていたが、
「あんなに見えるんだから、訳わけはない」と今度は叡山えいざんを軽蔑けいべつしたような事を云う。
「あんなに見えるって、見えるのは今朝けさ宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」
「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行あるいていれば自然と山の上へ出るさ」
 細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽あおいでいる。日頃ひごろからなる廂ひさしに遮さえぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額ひたいだけは目立って蒼白あおしろい。
「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」
 相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝さらして、粘ねばり着いた黒髪の、逆さかに飛ばぬを恨うらむごとくに、手巾ハンケチを片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩ぼんのくぼの尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻かき廻した。促うながされた事には頓着とんじゃくする気色けしきもなく、
「君はあの山を頑固がんこだと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排あんばいじゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空あいた方の手に栄螺さざえの親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角かどから斜ななめに相手を見下みおろした。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖ステッキを、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否いなや、歩行あるき出した。瘠やせた男も手巾ハンケチを袂たもとに収めて歩行き出す。
「今日は山端やまばなの平八茶屋へいはちぢゃやで一日いちんち遊んだ方がよかった。今から登ったって中途半端はんぱになるばかりだ。元来がんらい頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 瘠やせた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌しゃべり続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損みそこなってしまう。連つれこそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当けんとうがつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠やせた男は無言のままあとに後おくれてしまう。
 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫つらぬいて、煙けぶる柳の間から、温ぬくき水打つ白き布ぬのを、高野川たかのがわの磧かわらに数え尽くして、長々と北にうねる路みちを、おおかたは二里余りも来たら、山は自おのずから左右に逼せまって、脚下に奔はしる潺湲せんかんの響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更ふけたるを、山を極きわめたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾すそを縫ぬうて、暗き陰に走る一条ひとすじの路に、爪上つまあがりなる向うから大原女おはらめが来る。牛が来る。京の春は牛の尿いばりの尽きざるほどに、長くかつ静かである。





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